森林と森を結ぶ全国の集い 発表要旨 杉山要 |
「森に囲まれた村で、 薄れてしまった森への関心を取り戻すには?」 森の勉強会代表代行 杉山要 川上村は長野県の東南に位置し、周囲を山梨・埼玉・群馬県境となる山地に囲まれた標高約1,100〜1,500mの高地にあり、村内を源とする千曲川に沿って形成された8集落に、人口約5千人、1200世帯が暮らし、専業農家率は50%。国内有数の高原野菜産地で、その活気を裏付けるように、多くの山村が過疎化傾向にある中で人口―特に幼児童数が増加傾向にある。 村の総面積20,961haの90%を山林が占め、その約7割がカラマツ人工林で、狭間にポツポツと、アカマツ、ミズナラ等が見られ、標高が高くなるにつれて、シラカバ、ダケカンバ、コメツガ、シラビソ等の天然林となる。これらの森と地域の人々との関係は古く、林業が盛んだった当時は、たいていの人が木となんらかの係わりを持っていた。が、植えた時の期待に反して木がお金にならなくなった今、森に関心を示す人はとても少なく、そればかりか、むしろ、カラマツ材への(ねじれ、ヤニの為に)建築材にはなり得ないという偏見に、国産木材全体の不振が手伝い、畑に日陰を作り基幹産業の足をひっぱる木は邪魔者扱いされることが多い。 中でも、小さな落ち葉で野菜の品質を落とすカラマツは、「村の木」でありながら目の仇にされることがしばしばである。一方、戦後植林された木々は着々と伐期を迎えており、カラマツの新規需要開拓や長伐期化への努力が進められていながら、肝心の所有者の木への関心が低いため、森林組合で呼びかけて間伐をしようとしても、話がまとまらないこともある。産地の者が愛することなくして、商品が光を浴びることはないのではないか。 このような状況に危機感を覚え活動を始めてはみたけれど、森に囲まれた村の人々にとって、森はあたりまえの存在であり、「勉強会」に興味を示す人は少ない。したがってどのように仲間を増やし、森を振りかえってもらうか、ということが今の課題のひとつである。また、活動を続けることで、さまざまな地域の森に関する知識が蓄積されつつあり、それをいかに受け止めやすく村内に発信して行くのか、という問題もある。 昨年、会が実施したアンケートには「なぜカラマツにばかりこだわるのか?木は他にもあるじゃないか」という問いかけがよせられた。また、地域の人達から何度か耳にした「カラマツばかり植えすぎた」という声には、この木が植えられた経過や現状を、わかり易くまとめ発信する必要性を強く感じる。発信して行くべき事柄はそれだけではない。 材木という観点だけでなく、森の持つ多くの機能を、一般論ではない、地域の山と暮らしの関係に照らし合わせた具体的なかたちで紹介し、有効に利用する為の提案を試みたい。活動を通じ次のような問題点にも気づかされた。林業経験のない世代に引き継がれつつある今、木々は自分達の手で間伐するにはあまりにも大きくなりすぎており、商売人に任さざるを得ないのだ。 多様な考え方の存在し得る都会には、休暇を取ってでも森で汗を流したい、という人たちの活動が少しずつ広がりを見せているらしい。当会にも、森の魅力を知る村外の人々からの激励が少なくなく、今のところ、活動の常連の約半数が都会からの移住者のようなヨソ者である。そして、そうした動きに対する森の所有者達の目は冷ややかである。以前、ある全国規模の森林ボランティアが村内の森で活動をしたとき、「あれは都会の人間の考え方だ」という村人の感想を何度か耳にした。 たしかに発想はそうだったかもしれない、しかし、行動は必要なのである。だから、たとえば「森と畑を結びつける」何か、あるいは、農業が一段落した時に「ちょっと、うちの山にでも行ってみようか」という気にさせるような、地域に合った方法を模索していかなければならない。 ’98年の活動当初から、呼び掛け続けている言葉は以下のとおりである。 もっと川上村の森林を知りたい 自分の山をどうしていけばよいのか 考えてみたい 間伐のやり方だっておぼえたい 山の資源を農業に役立てたい ひとりで考えるよりも、 同じ思いの人たちと話をしてみたい |